安倍晋三首相は、総理大臣という存在(および彼が代表する政府そして国家)は法の下になく、法の上にあるものだと考えているらしい。

 ここに『法の下の平等』はない。法の上と下は平等ではない。法が適用され、法に従わなければならないのは、あくまでも法の下に位置づけられる国民、民衆のみである。法の上に存在すると(自らみなす)首相および政府(そして国家)には、法から除外される例外であり、一方的自由に法を変更、解釈できる特権が与えられている、そう彼らは信じて疑わない。上から下へ一方的に強制される法。ゆえにこの法は人類のもつべき普遍性(それは憲法に示されている、決して=誰にも変更できない人類普遍の原理である)に基づいていない。独裁政治と正確に定義できる。

 彼の本質は日々の言動で明らかである。わたしは以下の首相の行為を絶対忘れない。一国の模範たるべき総理がみずから国会のルールを破り、野次を飛ばした。野次がルール違反であることに釈明の余地はない。が彼は(謝罪という名目で)このルール違反に釈明を加えた。授業中オシャベリした子供が「話が長かったのだもの」などと弁解しても誰が相手にしよう、むしろオシャベリが違反であると理解しない証拠としてかえって強く叱責されるだろう。そして実際、安倍首相はなにも理解していなかった。数ヶ月後に、もっとひどい野次を今度は、注意されても二度に渡って繰り返したからである(そしてまた平然と釈明している)。このような首相が法治という理念を理解しているわけがない。

 このような首相がひきいる政府が、今、押し通そうしている安保法制は正常な意味での法とは到底いえない。これは、あらゆる法をシームレスに無効化する法のひとつである。答弁を聞いていればわかるように、この法制のもとでは、そもそも戦争という概念は存在しえない。かつての真珠湾攻撃も集団的自衛権の行使であり、アジアへの侵略行為のすべても、この法制の解釈においては戦争ではなく、国家存続が根底から覆される危機への対応として、みなされ正当化されうるだろう。こうして人類の犯したすべての戦争は、安全法制の論理を使えば戦争ではないことになる。この法において戦争という概念はなくなる。爆弾や核兵器すら消耗品であり武器ではないとみなされるのだから。

 安倍首相はいう、最高責任者である総理(自分)が、法を総合的、客観的に判断、解釈して運用するのだと。つまり方便として運用すると。自ら決めた約束を事後的に生じた状況によって自在に破り、変更する権利を主張することは、嘘をつく権利を主張することと同じである、すなわち嘘は方便である。すべてはこの首相にとっては好き勝手に利用できる方便にすぎない。この首相はだから平然とこれからも嘘をつき続けるだろう。
彼は主張する。法の整合性への信頼よりも、一人の人間である自分を信頼してほしいと。不明解な契約書の文面に対する疑義をのべると、大概の詐欺師は、「ぜったいそんな心配はありませんから」「決して悪いようにするわけがないじゃないですか」。「自分を信じてください」というものである。

 よって、あるべき答弁を避け、ただ「総理である自分を信じてほしい、悪いようにするわけないじゃないですか」とだけ繰り返す、安倍晋三首相は、よって最も信用してはならない悪辣の政治家だろうと、われわれの経験は教えてくれる。(この程度のことは、あのNHKの「ストップ詐欺被害!私はだまされない」という番組でも学べるが)。こんな男が日本の首相であることが鳥肌がたつほど恥ずかしく、恐ろしい。

岡﨑乾二郎(造形作家、批評家)

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