「集団的自衛権が国民を守る」という欺瞞性
2014年、「集団的自衛権」は安倍政権による「ありえない」憲法解釈によって欺瞞の象徴となり、ユーキャン流行語大賞にまで上り詰めた。
密接な関係にある国が武力攻撃を受けたとき、自国が直接攻撃を受けていなくても、一緒に反撃のための武力攻撃に参加できる――「武力による威嚇又は武力の行使を慎め」と宣言した国連憲章には、アメリカやソ連の思惑によって第51条という例外がつくられた。そのために行われた数々の武力攻撃の歴史は、「集団的自衛権」が決して「自衛」という名前をつけられるような代物ではなかったことを証明している。「魚雷攻撃をうけた」というでっちあげのトンキン湾事件で始まったベトナム戦争(1964年~)、アメリカ同時多発テロへの報復として始まったアフガニスタン報復戦争(2001年~)など、「集団的自衛権」が大国による軍事介入の口実に使われてきたことは紛れもない事実である。ISによる人質テロは、アフガニスタンやイラクでの戦争の結果であり、「戦争でテロをなくすことはできない」という現実をつきつけている。
そして、これまで日本政府は、「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権の否認」を掲げる日本国憲法第9条のもとでも、「自衛のための必要最小限度の実力を保持することはできる」と自衛隊の存在を説明してきたが、同時に「集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」と説明してきた。これは集団的自衛権の本質からすれば当然すぎるぐらい当然である。
にもかかわらず、2014年7月1日、安倍政権は一回の閣議決定によってこの憲法解釈をくつがえし、日本国憲法9条のもとでも集団的自衛権の行使が許されるなどという詭弁を、「国民の命を守る」という欺瞞に満ちた言葉を添え、何の恥ずかしげもなく披露したのである。
戦場に行くことになるのは誰か
集団的自衛権を行使することになった場合、戦場に行くのは安倍晋三ではない。「災害の時に力になりたい」「就職先もお金もない」などの様々な事情から入隊した自衛隊員であり、これから自衛隊に入ることにかもしれない全国の若者であり、これから日本に生まれてくる子どもたちである。自衛隊が当然に戦闘行為に参加することになれば志願者が減り、次に待っているのは徴兵制である。
そして戦争のためには戦争を遂行するしくみが必要である。国内に貧困と格差を拡大しておき、「軍に入る以外に食っていけない」国民をつくり出しておく。戦争の準備に関わることはすべて秘密にし、「知る権利」や「表現の自由」などというものはつぶしておく。学校教育で戦争を否定するようなことは教えないで、過去の戦争についても歴史をねじまげてでも肯定しておく。そして気づいたときには、戦争に反対することすら自由にできなくなっている国になっている――これが安倍政権の野望である。
集団的自衛権の行使は閣議決定だけではできない。集団的自衛権の行使を具体化する一括法案への議論が始まろうとしている。私たちは今、安倍政権の言う「この道」を塞がなければならない。戦後以来の「大暴走」をつぶさなければならない。
戦場に行きたくないすべての人、そして大切な家族や友人を戦場に行かせたくないすべての人へ。
「安倍政権NO!」の声で国会を包囲し、民主主義を取り戻せ!