現行憲法について一般に流布している言説と、自民党「漫画政策パンフレット」に関する質問集


 最近の世界の動きをみて、今の憲法のここを変えたらいいのではないかと思っている人や、与党のいう改憲を少し考え始めた人もいることでしょう。しかし、来たる7月の参院選で、与党は改憲問題を争点には挙げてはいません。ですが、万一、与党や改憲勢力が勝利した場合、改憲の方向へ向かうことは確かです。これまでにも選挙で多数を占めるたびに、選挙前の公約には表に出さなかった特定秘密保護法や安保法制などを強行採決していることを思い出してください。そして、改憲への動きが進むとすれば、おそらく新しい憲法は自民党が2012年に発表した「自民党改憲草案」に近いものになると思われます。またこれをわかりやすい漫画の形にしたものが、「漫画政策パンフレット」です。これらはあまり知られてはいないようですが、内容を見るとさまざまな思いを抱かれることと思います。

自民党改憲草案

漫画政策パンフレット

 このページでは、現行憲法について一般に言われていること、および自民党「漫画政策パンフレット」で描かれていることが本当にそうなのか、自民党は一体何をめざしているのかを検証します。「自民党改憲草案」の問題点についてはこちらで詳しく解説します。

現行憲法の成立過程と改憲について

Q1現行憲法は、終戦直後にアメリカの憲法専門家でない人が、「日本を無力化する」ために作り、日本に押し付けたものだというのは本当ですか。
A1確かに、国民主権憲法の草案を構想できず、明治憲法と代わり映えのない案しか作れなかった日本政府に対し、GHQ「案」が「押しつけ」られました。しかし、国民・世論はGHQ 案を元に作られた「憲法改正草案要綱」を歓迎します。

このように、現行憲法は,国民・世論の力がなければ生まれなかったのであり、国民・世論の意思に反して「押しつけられた」ものではありません。GHQ 案は起草過程で鈴木安蔵らの「憲法研究会」案を参照しています。その案には、自由民権期の私擬憲法草案、フランス人権草案やアメリカ独立宣言における近代憲法原理が影響を与えています。

日本国憲法は、自由と平等を求めて憲法を制定するという人類の普遍的歩みのもとに制定されたと考えることができます。
Q2漫画(p.11) に,前文が翻訳口調であることが憲法そのものの問題点であるかのように書いてあります。条文の文体と憲法の中身に関連がありますか。
A2ありません。その文が複数の意味にとれる曖昧なものであれば、解釈する際に意見が分かれるおそれがありますので,法律として問題になりますが、翻訳調であっても文語調であっても口語調であっても、それ自体は法律の内容の問題点にはなりません。

もし前文が翻訳口調で読みづらいなら、読んだ人が自分の中で文体をかえて読めばよいだけです。

さらにいうと、このような「本質的ではないこと」や「関係のないこと」をあたかも「大きな欠点であるかのように」取り上げ、それを根拠にして改憲の必要性を主張する言説は世論を誘導していると言われても仕方がないでしょう。主張と根拠が示されている時、私たちはそこに因果関係があるのかどうかをしっかりと見極める必要があります。
Q3漫画(p.21)には、「“敗戦国”日本のままってことなのか」とありますが、占領下で公布された憲法があると「“敗戦国”」になるのですか。
A3なりません。さらにいえば、いわゆる自民党改憲草案や自主憲法を制定したとしても、歴史的に敗戦国は敗戦国です。憲法を変えても、過去の歴史を書き換えたり修正したりすることは絶対にできません。

では、この漫画の中の登場人物が言う「敗戦国」が歴史的なものではなく、精神的なものだとしたらどうでしょうか。それでも答えは「(敗戦国には)なりません」です。それはたとえ占領下で交付されたとは言え、また草稿段階でアメリカ側の関与があったとはいえ、国会で承認され交付されたという歴史的事実があるからです。アメリカが公布したわけではありません。もはや、現代を生きる多くの人にとって日本は精神的には敗戦国ではないでしょう。

漫画にあるように、現行憲法が「敗戦した日本にGHQが与えた憲法」で、その憲法がある以上、「いつまで経っても日本は敗戦国」であるから改憲をするということは、その漫画で使われていることばで言えば、「国の形」を「自己否定」的な感情や一種の屈辱感で変えることになります。占領時のものが今も存在し使われているから自分たちが敗戦国のままだという主張は、それこそ自虐的で屈折していると言えるのではないでしょうか。
Q4漫画(p.9)には、「ケータイもネットもなかった時代の憲法」だと「今の社会についてこられない」というようなことが書いてありますが,本当にそうですか。
A4違います。「ケータイもネットもなかった時代」という表現で古くて時代遅れということをイメージされていますが、古いことイコール常に「今の社会についてこられない」ということにはなりません。

では、憲法がついていけない問題が今の社会にあるかですが、環境権やプライバシーの問題などは、当時はそういう概念も希薄だったため現行憲法でカバーできないと言われることがあります。しかし、憲法は何から何までを具体的に規定し全ての事象をカバーするものではありません。憲法では基本的な理念を規定し、具体的なことは個別の法律でカバーすればよいのです。そうすると問題は、現行憲法で環境権やプライバシーの問題などをカバーできるのかということです。

これは基本的な人権に関わることですから、第3章「国民の権利及び義務」で十分対応できます。個別法で対処すればよく改憲の必要はありません。

なお、「今の社会についてこられない」という漫画の表現は、「ついてくる」という語からわかるように、「社会を前(先)」「憲法を後ろ(後)」に置いている見方です。それによって「憲法が遅れている」「十分ではない」「劣っている」という否定的な印象を持たせる結果となっています。
Q5日本人が自身の手で作ったものではないため、日本人の意見が反映しておらず、日本人の精神が生かされていないという意見がありますが、本当ですか。
A5戦後、占領軍GHQは、軍による悲惨な戦争を招いた原因とも言える明治憲法を改め、新しい国の体制を作るために新たな憲法を作る必要性を感じていました。そこでGHQは司令官マッカーサーが提示したマッカーサー三原則(天皇制の存続、戦争放棄、封建制度の廃止)をもとに草案を作成しました。つまり、アメリカ人の手によって短期間で作成されたということで、これを安倍政権は大きな改憲理由に挙げています。

しかし、実際は戦後すぐ、日本の民間、たとえば「憲法研究会」などからも憲法草案が作成されていました。これは天皇の権限を国家的儀礼のみに限定し、主権在民、生存権、男女平等など、のちの日本国憲法の根幹となる基本原則を先取りするものであり、GHQの草案にも大きな影響を与えていたのです。

GHQ草案が提示されてからは日本側からも細かい検討が加えられて、主権在民、普通選挙制度、文民条項なども明文化され、また、新たに憲法を施行するに際して必要な法律も新たに制定され、刑法、民法などの規定も憲法の内容に合わせて改正されました。そして1947(昭和22)年5月3日、「日本国憲法」が施行され、当時の日本国民はこれを新しい民主国家の礎になるものと歓迎したのです。

現行憲法の内容について
(1)軍隊について

Q1日本のように経済的に自立した独立国家は、普通は軍隊を持っています。日本が軍隊を持っていないのはおかしいのではないでしょうか。
A1国家はそれぞれ独立国家としての主権を持っており、独自の選択をすることができます。人道に反すること、国益の追求のために他国を侵略することは国際条約で禁止されていますが、そのために軍隊を持たないという決断は、平和主義の方向から見てむしろ自らに厳しい進歩的な方向ですから、「おかしい」ということはありません。むしろ「おかしい」と言われない国、信頼される国であるためには、多数に合わせる「普通」よりも、この国自身がとっている方針を守ること、ブレないことのほうが重要です。

また、日本の防衛費(海外から見れば軍事費)は、NATO方式で計算すると1980年代にはアメリカに次いで世界第2位から3位になっていました。実質的には十分すぎるほど普通の国になってしまっています。

第二次世界大戦前には、軍隊・軍備は国家にとって欠かせないものと考えられてきましたが、現在では世界中に軍隊のない国が多く実在します。リヒテンシュタインのように経済面から軍隊を廃止する現実的選択をした国、バチカンのように宗教的信念から軍備を持たない国、その他、アイスランドやコスタリカやモナコ公国などが、軍隊を持たずにそれぞれの工夫をしています。
Q2軍隊を持たないという決断は、外国から押し付けられたものではないのでしょうか。
A2日本は第二次世界大戦を終結させるにあたって、自ら「ポツダム宣言」を受諾しました。その「ポツダム宣言」には、現在でいう「国民主権」や「民主主義」を原理として国家を作り直すこと、平和主義を受け入れること、などの要求が書かれていました。ここで要求されていた平和主義は、「侵略戦争を行わない」という世界共通ルールのことだったと考えられます。

これに対して当時の日本政府は、天皇主権を廃棄して国民主権・民主主義に切り替えることに強く反発していたため、その部分についてはポツダム宣言に沿った新憲法を策定するよう、連合国とGHQから強硬に迫られました。

これに対して現在の9条のもととなった「戦争と軍備の永久放棄」は、当時、日本側(幣原喜十郎首相)から提案したものであること、この条文の文言を確定する最終段階である小委員会(芦田委員会)で日本の議員たちが強い気概をもってこの条文の仕上げ作業を行っていたことが、記録から明らかになっています。
Q3最近、日本を取り囲む国々(中国、韓国、北朝鮮など)の軍事的な動きに不安を感じます。現行憲法ではそれらの国が軍事行動を起こしてきたときに立ち向かえないのではないでしょうか。
A3立ち向かう」というときの内容が問題です。万が一の有事のときにも、相手国を攻撃して勝利することではなく(これを憲法9条は否定しています)、被害を防ぎ、避難ルートを確保し、紛争の原因を解決することを優先させなければなりません。そのための課題はたくさんあります。まずは第三国の協力も得て、国際社会の目のあるところで、交渉・説得を尽くすことです。軍事攻撃の応酬で立ち向かうことは、事態をエスカレートさせ、本来必要な対処をかえって困難にします。

近隣諸国が軍事実験や演習、基地建設などを行っていることに不安・脅威を感じるとしたら、日本も海上や沖縄・北海道などで日米合同演習を行ってきたことを考えてみましょう。1962年のキューバ危機のさいには沖縄に核弾頭を運び込んでいたことも現在では明らかになっています。これは近隣諸国に不安・脅威を与えてきたことでしょう。このように、軍備・軍事力というものは、自国は「問題なし」、他国は「脅威」に見えるものなので、均衡を保つことは難しく、常に軍拡競争の方向へ向かってしまいます。「立ち向かう」ことより、その発想によって周辺国を刺激し軍拡競争を自ら招くことの危険性を考えるべきです。
Q4最近、世界的にみるとISなどの武装集団の脅威が増大しています。現行憲法ではそれらの国を抑え込もうという国際社会の合意に沿う協力ができないのではないでしょうか。
A4国際社会では武力紛争が絶えずどこかで起きています。これを解決するための非軍事的な協力の仕方はたくさんあります。現在、この協力の多くは政府よりもNGO団体が担っています。軍事攻撃で立ち向かうことは、事態をエスカレートさせ、本来必要な対処(避難民の支援や受け入れ、外交努力、NGOの活動)をかえって困難にします。

日本国憲法9条1項は、紛争を解決するための手段としては戦争を永久に放棄すると言っています。日本自身が攻撃を受けた時の自衛についてどのような対処が許されるかは別に議論をしなければなりませんが、少なくとも世界の紛争の問題については、武力行使や実質的な武力行使(武力行使との一体化)によって解決しようとすることは憲法9条違反になります。第二次イラク戦争の自衛隊派遣はこの意味で憲法違反の部分を含むものでした。

2015年の安保法制では、弾薬提供を含む後方支援や、武器使用を前提とした治安維持活動や武器庫防護、駆け付け警護など、武力行使との一体化を必然的に招く行動が含まれています。日本政府はこのことを国際社会に十分に説明して理解を求め、上に見たような別の協力の仕方について協議していくべきです。
Q5永世中立をうたうスイスも軍隊を持っており、徴兵制があります。日本も検討すべきではないでしょうか?
A5特定国との軍事同盟関係にあり、その軍事力の「傘」の中にいる日本は、まずは「中立」とは言えない立場にあり、そこから検討しなければならないでしょう。しかしそれでも日本は、武力を行使しない・戦争には加担しないという意味で、軍事的には中立的な国として、国際社会から信頼を得てきました。だからこそ、他国から軍事的敵対視を受けることなく、平和を維持できたと言えます。憲法前文の「信頼」という言葉は、この意味で決定的に重要なものです。

日本は今、この信頼を失おうとしています。まずは2015年制定の安保関連法を廃止し、上記の地点まで状況を引き戻すことが必要です。そこから先、日本の安全保障はどうあるべきかは、国民が、情報遮断や誘導などを受けない真に民主主義的な環境で議論する必要があるでしょう。ただし現行憲法の下では、スイスのような国民皆兵制をとること、その前提として全家庭が銃火器(軍事装備品)を持つことはできません。憲法改正によってこの歯止めを取り払う道については、国家の究極の選択となりますから、「決まったことに従う」という気分で安心せず、その選択の怖さについて主権者が真剣に議論すべきです。おそらくこの道はどう工夫しても、諸国民の平和的生存を目指した日本国憲法の根本原理と相いれないものになるでしょう。
Q6今の国際環境では「戦争の放棄」は現実的ではないとも思われます。「戦争に加担しないことにすれば平和は守れる」と考えることはできないのではないでしょうか。
A6今の国際環境では、「軍事力を持てば平和は守れる」と考えることのほうが、現実的ではなく、楽観的すぎます。今は、世界中が利害関係の連鎖でつながっています。局地戦に見える戦争でも、双方が「勝つまでやめない」状況になると、同盟関係にある他国が軍事支援をしますから、戦争はエスカレートします。その中で一国が強い軍隊を持ったからといって解決できるものではないのです。仮にその中で勝ってしまったら、その時には莫大な被害を自国にも近隣諸国にも生じさせ、「平和を守る」目的とは正反対の状況を生じさせているでしょう。

第一次・第二次世界大戦がこの経緯で「世界大戦」となったこと、朝鮮戦争・ベトナム戦争の背景に「冷戦」があったことを思い起こしてください。また第二次イラク戦争終結後、この地域に流入した武器が、その後の民族紛争やテロ活動に使われていることからも、戦争の後遺症としての紛争は、長く続くことがわかります。

「戦争に加担しないこと」は、平和構築のための必要条件であり、十分条件ではありません。まず、戦争に加担しない、という姿勢を貫き、その上で、国際ルールの形成に貢献する、難民保護などの人道支援や終戦後の危険物無害化処理に技術力で協力する、といった道が考えられます。十分でないからといって、その基礎を覆してしまっては、平和構築に向けての前進ができません。
Q7防軍を持つことは戦争をしようという意味ではありません。自ら戦争はしないが、「抑止力」としての軍事力は持つべきではないでしょうか。
A7「抑止力」とは、冷戦の核軍拡競争の中で好んで使われるようになった言葉です。強い軍事力(とくに核兵器)を持っていれば、敵対的な相手国は、報復を恐れて攻撃を仕掛けることができない、だから平和が保たれる、という考え方です。この「抑止力論」は憲法9条が禁じる武力の「威嚇」を少々薄めたような考え方であり、危険な発想です。どちらかが心理的駆け引きに耐え切れず先制攻撃に踏み切れば終わりです(1962年キューバ危機はその危険が現実となった場面です)。衝突が起こった後には、むしろ武器使用・武力行使のエスカレーションを招きます。また、そのような軍備を抱え込むことで、管理ミスによる事故の危険も高まります(1960年のソ連バイコヌール宇宙基地での実験中のミサイル爆発炎上事故などが一例で、もしもこのとき核弾頭が近くに置かれていたら、世界を破滅させる事故になっていたかもしれません)。総じて、「抑止力論」に基づく軍備拡大と大量破壊兵器保有は、憲法が許容しないリスクを国民に負わせることになります。

また、この「抑止力」は、自分の保身を考えて利害計算する者同士の間でしか通用しません。死ぬ決意をしてしまった者(自爆テロリスト)や、冷静な利害計算よりも栄誉に命をかけてしまう政治指導者、報復攻撃の怖さについて知らされていない国民に対しては、意味がないのです。

真の「抑止」とは、まずは一定の人々を自暴自棄になるような抑圧状況に置かないこと、そして「この国とは軍事的に敵対するよりも平和的な関係を維持したほうが良い」と思われる国になることでしょう。
Q8万一の場合(有事の場合)に誰が対処にあたるのでしょうか。自衛隊員以外の一般国民が徴兵されることはないのでしょうか。
A8自衛隊は現在、特別公務員として採用される志願制です。憲法18条は「意に反する苦役」を国民に課すことを禁じているので、日本が徴兵制度を採用することはできません。「犯罪による処罰の場合を除いては」となっていますが、受刑者を兵役に利用することは、刑罰制度の根本原理と憲法31条以下の「法の適正手続」に反します。国民であれば「意に反する」などと言っていないでそのための覚悟をするべきだ、との言葉も聞かれますが、日本国憲法はそうした発想で起きる全体主義化・軍事国家化を防ぎ、国家が国民をこの方向で動員することを禁じる構造を持っています(18条のほかにも、13条・各種の権利が「個人」の権利として「最大限」尊重されること、19条・思想良心の自由、20条・信教の自由と政教分離、22条・職業選択の自由、31条・不利益を課される場合の法の適正手続など)。

18条を削除して徴兵制を容認することはできるでしょうか。世界の立憲主義確立の流れの中で、人間の身柄・人生を「道具」として拘束し利用すること(奴隷状態)は共通して禁止されています。意に反する労役を強いることも、この一環として禁止されます。この部分を削除してしまえば国家と国民の関係の根本が失われ、また世界の立憲主義の歩みとの関係をも否定することになりますので、この内容を削除することはできません。

しかし有事の場合の例外として徴兵制を認める憲法改正をするべきだ、という議論は残るかもしれません。これについては、それによって起きる結果の怖さ、自分自身に生じる問題の深刻さ、アメリカがベトナム戦争以後、志願制に切り替えたこと(ただし18歳から26歳の男性は選抜徴兵局への登録が義務付けられている)などを、主権者が十分に知る必要があります。アメリカでは1946年から1962年にかけて行われた核実験に多数の兵士が演習として参加し、現在でも放射線被爆による深刻な健康被害を抱えて苦しんでいます。

社会政策が不足して、人々が兵役(日本の場合は自衛隊員)を自ら選ばざるを得ないように仕向けられる社会状況のことを「経済的徴兵制」と言います。憲法25条・生存権、22条・職業選択の自由と18条の組み合わせから考えられる社会状態とは正反対の状況です。アメリカでは貧しい地域の出身者や人種的差別の対象者がこのような流れで入隊することが多く、問題視されてきました。日本がこの道を行くのではないか、ということが懸念されています。
Q9日本の現行憲法9条には、国を守る「自衛権」とそれを行使する軍隊を管理する規定がありません。これは憲法の「不備」と考えるべきでしょうか。
A9日本国憲法には、外交や条約に関する権限は72条と73条に規定がありますが、軍隊を管理する権限(軍事権)を定めた規定はありません。これは「不備」ではなく、戦争を放棄し、戦争を行う法的権限(交戦権)とその物理的装備(戦力)を自らに対して封じた9条との一貫性から見て当然のことで、日本はそのような自己決定をした国家です。ここから、自衛隊は憲法違反ではないのか、という議論が長く続いてきました。

2014年7月以前の政府の見解は、他国から急迫不正の攻撃を受けた場合だけは、一種の正当防衛としての「自衛」が認められる、というものでした。これは各国で古くから認められてきたものであるため、現行憲法9条のもとでも可能と考えられてきました。この「自衛」は、自国が攻撃を受けた時にそれを回避するため必要最小限度の対処が認められるというもので、これは「戦力」に至らない「実力」だからそのための自衛隊も違憲ではない、という説明が長く行われてきました。ここに2003年の「武力攻撃事態法」制定や「自衛隊法」改正によって、他に手段がないときには「武力行使」も認めるという考え方が加わりました。この意味の「自衛」が現在「個別的自衛」と言われているものです。

それは現行憲法9条のもとでは厳しく限定されるべきものであり、上記の場合以外に目的のあいまいな軍事活動が行われることは厳しく禁止されるべきで、2014年以降その限定があいまいになってしまったことは重大な憲法問題です。

憲法改正によって国家に軍事にかかわる権限を与えることは、このあいまいさを正当化し、広範な軍事活動を断れなくなる可能性を高めます。国家に厳格な自制を求める根拠となる9条を維持することの意義を、主権者が十分に知る必要があります。
Q10多くの国では軍隊について「文民統制」があることが書かれているが、日本の現行憲法ではどうなっているのでしょうか。
A10軍の最高指揮官は多くの国で首相や大統領となっていますが、これに対して主権者である国民が最終的判断・決定権を持つという基本原則を「文民統制」(シビリアン・コントロール)といいます。軍事・軍隊に対して国民が《手綱》を持てるようにする制度です。具体的には、軍の長は議会(国民)に対して情報公開責任と説明責任を負うこと、議会(国民)の判断が優位すること、などです。現行憲法では自衛隊は「軍隊」ではないので、この「文民統制」はあまり意識されませんでした。

現行憲法66条2項の「国務大臣は、文民でなければならない」とする規定は「文民条項」と呼ばれています。これは軍人が閣僚の中に入ることはない、という人事ルールで、日本国憲法制定時には、《日本は軍隊を持たない》という選択を補強する規定でした。しかし、自衛隊が事実上の軍事的実力組織となっていることから、この条文がこの組織への「文民統制」を担う条項として読まれることとなりました。

しかし2015年、「文官統制」と呼ばれる仕組みが廃止されました。これは防衛省内の意思決定において文官(官房長・局長)が制服組に優位するという制度でしたが、これが変更され、両者が対等な立場に置かれました。この法改正は文民統制を弱めるものだとの批判が多くの識者から出されています。
Q11日本に求められている国際貢献を考えると、自衛隊の活動範囲を世界に広げるために、憲法の解釈を大きく変えるか、憲法改正を考える必要があるのではないでしょうか。
A11日本に求められている国際貢献と言ったとき、特定の国から求められている事柄に限定せず、さまざまな角度から考えるべきです。国際社会では、今起きている武力紛争や貧困・難民・食料医療不足の問題について、国家間の軍事的な安全保障よりも現実の人間のニーズを第一に考える「人間の安全保障」論が重視されています。

この課題は、現行の日本国憲法前文の「平和的生存権」の内容と近いもので、この方向で日本に期待されている非軍事的な貢献の選択肢は、避難民の支援や受け入れ、外交努力、NGOの活動など、たくさんあります。そうなると、現行憲法は国際貢献の障害になる、という発想のほうに問題がありますね。武力行使や武力行使と一体化せざるを得ない後方支援を行うことは、特定国の軍事活動には貢献しても、総合的には事態をエスカレートさせ、本来必要な貢献をかえって困難にします。

日本が行うべき貢献については、特定国だけでなく広い国際社会で十分に協議を行い、可能な限り非軍事的な貢献をもって理解と合意を得る努力をすべきです。2015年以前のPKO協力法の下でも、軍用艦への給油活動など、憲法上問題のある軍事支援活動が行われており、派遣された自衛隊員の帰国後の自殺率の高さも問題となっています。そうしたことの問題も含めて、まずはPKO協力の内容を2015年以前の段階に戻し、日本にふさわしいPKO協力を模索していくべきでしょう。
Q12日米同盟の恩恵を受けている限り、日本も米軍の力にならなければ義理を欠くのではないでしょうか。
A12日米同盟のおかげで、日本はアメリカの核の傘に入っているので、守られている、だから、協力しなければ義理を欠く、という義理、人情的な考え方は、アメリカには通じないでしょう。アメリカはあくまでもアメリカの戦略、国益に則って動いているという基本的な考えを忘れてはいけません。世界的な戦略上日本の基地が必要であったり、自衛隊の協力が必要であったりするのです。

かつてアメリカが述べた「瓶のふた論」は、瓶に入った日本の軍国主義をふた(=日米安保条約)で閉じ込めるという考えです。日本の再軍備や核武装に対する警戒心があるのです。アメリカが日本を温情主義的に守ってくれる、わけではないということを抑えておきましょう。

日本はこのまま対米従属的な態度を取り続けるのでしょうか。米軍にますます協力しながら、その一方で自民党改憲案のように、昔の大日本帝国を夢見るのでしょうか。とにかく、これまで隠されてきた日米同盟の歴史を紐解き、実態を知り、国民的議論を起こさなければなりません。
Q13現在は日米同盟によって、日本は守られているが、たとえばトランプ氏が大統領になったら日本を守ってくれないので、日本は独自の軍隊を持つべきだと思うのですが。
A13日本はアメリカの世界戦略の中で、(目下は)守られている形になっています。トランプ氏は日米同盟の実態をどれぐらい把握しているのでしょうか。米軍は「思いやり予算」などにより、他国と比べて非常に優遇されています。また、1959年の砂川裁判に見られたような、アメリカの異常な政治的干渉(それに従う内閣+最高裁判所長官)による基地への執着などからも明らかなように、アメリカが基地から絶対に撤退したくないとう現実もあります。

世界戦略的なアメリカの立場をトランプ氏は理解していないのか、あるいは、否定するつもりなのかもしれません。金を出さないなら撤退する、というトランプ氏の発言を機に、日本人が、占領時代からの、今までベールに隠されていた、憲法理念に反する日米同盟の実態をまずは国民の共有の知識とするべきでしょう。

その上で、日本がどのような国を築きたいのかについて議論すべきです。その一環として独自の軍隊をもつべきかどうかという議論が起こってくるでしょう。その時、自民党が描く、大日本帝国憲法下のような国で独自の軍隊を持つとどのような状態になるか、現行憲法の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という普遍的理念を忘れた軍隊の恐ろしさを想像してください。
Q14もしどこかの国が攻めてきたら、現行憲法では「自衛権の行使」を認めているのでやむをえず戦うことになります。しかし憲法9条は「戦力の放棄」をうたっているので、自衛隊は「戦力」ではなく自衛のための「実力」だという解釈で今まで来ています。これは苦しい解釈ではないでしょうか。
A14「苦しい」というような単純な問題ではありません。

個別的自衛権の行使を可能とする政府の自衛隊に関する解釈には、「戦力」と「自衛力」の区別ができないという問題があります。そこで、憲法の方を変えて、いつまでも違憲性を払拭できないといわれる自衛隊ではなく、個別的自衛権も集団的自衛権も行使して、堂々と戦力を持てるようにしようというのが自民党改憲草案です。

しかし,憲法を変えて、自衛隊を国防軍に,自衛力を戦力にすることは得策ではありません。条文と自分の好む実態とを近づけることはできるかもしれませんが,「戦力を保持しない」・「戦争を放棄する」という憲法の重要な理念を根本から放棄することになるからです。

今の憲法はどこかに悪いやつがいて攻めてくるかもしれないという「不信の構造」を前提にはしていません。むしろ逆に,そういう「不信の構造」を日本が先頭にたって全面的に解消することによって、国民の生命や自由を守り、国際社会に貢献しようと考えています。海外で平和維持の仕事に関わったりNGO活動をしたりしている人たちがよく言うのは、「9条の『戦争の放棄』があるから日本は信頼を得ている」ということです。その信頼を失うことは国益に反することです。

(2)緊急事態条項について

Q1解釈を変更して成立させた安保法は、外国からの攻撃を受けたときの解決にどうしても必要な制度なので、憲法上認められるはずではないでしょうか。もしも現行憲法で認められないならば、憲法改正をしてでも認める必要があるのではないでしょうか。
A12014年7月以前の政府の見解は、日本が他国から急迫不正の攻撃を受けた場合だけは「自衛権の行使」が認められる、というものでした。これが現在「個別的自衛」と言われているものです。これだけは、外国からの攻撃を受けたときの解決に必要な制度として憲法がぎりぎり許容できると、政府自身が解釈してきました。

したがって、この「どうしても必要な場面」をはみ出す実力行使や武力行使は、憲法違反と言わざるをえないのです。政府は、2015年の国会で、日本が攻撃を受けていなくても外国のために武力行使や軍事的後方支援をすること(集団的自衛権行使)が「どうしても必要」な事態がある、との事例説明を行いましたが、その説明はすべて失敗していると言わざるを得ません。そうであれば、このような集団的自衛権行使は、必要性のわからない軍事力の行使ですから、憲法違反です。その行使を容認し明文で制度化した各種の法規も、憲法違反です。

では、憲法改正によってこのような武力行使や軍事的後方支援を正面から認める道は、どうでしょうか、国家に上のような限定を超える軍事力行使の権限を与えることは、目的の不明な軍事力の行使を正当化することにつながり、外国から広範な軍事活動の要請を受けたときに断れなくなる可能性を高めます。厳格な歯止めの根拠となる9条を維持することの意義を、主権者が理解して判断する必要があります。
Q2国内で起きる大震災などの大災害に対処するには、憲法に緊急事態条項を設けることが必要ではないでしょうか。
A2日本ではたしかに大災害がよく起こります。だから大規模災害に対処し、人命を救助できる法制度と特殊組織と特殊装備は必要だ、というのはその通りです。しかしそれは本来、軍事とはまったく異なる筋の話です。大災害への対処は、現行憲法13条(生命権)や25条2項(福祉国家としての責務)にすでに根拠があり、現在の災害対策法を事態の深刻さや規模に合わせて具体化することで対処できますし、そうしなければなりません。

また、想定外の大災害が起きたときには53条に基づいて臨時国会が開催できますし、当然そうすべきでしょう。国会の関与抜きに内閣だけで国政レベルの対処を決定・実行できるとする緊急事態条項の危険性については他の項目で解説していますが、「災害」をこの緊急事態に含めることは、「事態」宣言を行う機会を平時から頻繁に生みだすことになり、民主主義を死滅させる危険性を高めます。

とくに、軍事的意味での「事態」に対処することを目的とした自衛隊と、災害が起きたときに国民の生命を守り生活を立て直すことを目的とした福祉型の国務は根本的に異なるにもかかわらず、一つの組織に混ぜ込んでいることに大きな問題があります。緊急事態条項を作るよりもまず、大規模災害に特化した組織をしかるべき省庁の下に創設すべきです。
Q3「緊急事態条項」は他の国の憲法にもあります。日本の憲法にないのはおかしいのではないでしょうか。
A3いいえ、全然おかしくありません。確かに憲法の中に「緊急事態条項」という章はありません。しかし、実質上はさまざまなところに一定の制限や例外的な扱いを許容する「幅」が作られています。たとえば、第3章第13条の「公共の福祉に反しない限り」や私有財産の公共使用可能性に言及している第29条などです。これらをもとに法律を妥当に運用すれば,緊急事態においても現行憲法でなんら不足はないはずです。

他の国の憲法にあるものがないから現行憲法がおかしいという論理自体がおかしいのです。おかしな考え方をしている人や団体が、「○○はおかしい」と言っていても、その人たちが前提としていること自体がおかしいわけですから、その「○○はおかしい」という主張がおかしいのであって、「○○はおかしくない」のです。根拠と主張との論理関係を吟味するときに、なにが前提とされているのかを見極めると真実が見えてくるでしょう。

アメリカの占領下で押し付けられた憲法であるという理由で改憲したいと思っている人が、「外国と同じこと」を求めているとしたら、ずいぶんと滑稽に思えませんか。主張する人の内部に屈折した感情があるのでしょうか。
Q4大きな自然災害などが生じた場合のことを考えて、いわゆる緊急事態条項を加えるために改憲を行う必要があると説明されることがありますが、そのような目的での改憲は必要なのですか。
A4いいえ、必要ではありません。

自民党「漫画政策パンフレット」などでは「現行憲法は大きな災害や戦争などが起こった時の想定が甘く何も対応を考えていないので問題だ」と言っています。そこで自民党の改憲草案では「緊急事態条項」を新設し、内閣に権限を集中させ、国会の承認を得ずに予算の執行をしたり国会議員の任期を延長したりすることができるようにしています。

しかし、現行憲法54条は、衆院の解散中に緊急の必要があれば、内閣が参院の緊急集会を求めることができると定めていますので充分対応可能です。緊急集会でとられた措置は臨時のものであり、次の国会開会後、10日以内に衆院が同意しなければ効力を失うという制限がありますが、実は自民党改憲草案でも国会の事後承認が必要であるとしているので同じことです。

そもそも緊急事態時にトップダウン的な政治がどれくらい必要なのでしょうか。東京新聞記事(2016年5月28日)によると、東日本大震災被災3県の知事と市町村長計42人の9割超が発生当初の人命救助や復旧には緊急事態条項がなくても支障なかったと考えているとのことです。緊急事態時には通常よりも自治体の権限を強化し、自由度の高い対応を速やかに実行できるようにした方が効果的です。

(3)天皇と愛国心について

Q1日本が「立憲君主国」なら、天皇を元首としてもよいでしょうし、日本に元首がいないのはおかしいと思いますがどうでしょうか。
A1元首とは一般に国家を対外的に代表し、国内的には行政権の長をいうと解されています。現在の憲法において、あえて元首とは誰かという問題に答えるとすると、日本国を対外的に代表する地位にあるものは内閣総理大臣です。天皇は元首ではありません。また元首という国家機関は何かという問いを立てること自体が古い国家観から来ています。

実際政治の場では、天皇や皇室外交を通じて、天皇を「元首」的に取り扱ってきましたが、憲法の規定では象徴天皇制は国民主権のもとにあり、天皇は憲法の定める国事行為のみを内閣の助言と承認の下に行い、国政に関する権能はいっさいもっていないのです。ですから、天皇を元首とすることは憲法改正の限界に当たります。

そもそも、明治憲法下において適合的であった「元首」という存在を憲法上明記しようという発想自体が、権威主義的で絶対主義的な神権天皇制への郷愁にとらわれた時代錯誤的な試みです。日本が戦争体制に突入していった要因の一つとして、元首であり「統治権の総覧者」であった天皇の存在が無責任体制をつくりあげていったことへの、厳しい反省が必要です。
Q2日本には国歌や国旗を明確に定めた規定がありません。国歌斉唱をしないのは愛国心の欠如ではないでしょうか。
A21999年に、国旗は日章旗とする、国歌は君が代とすると定めて「国旗及び国歌に関する法律」が制定されましたが、国民に対する格別の義務は課せられませんでした。日章旗や君が代に対する国民の考え方にはさまざまなものがあります。たとえば、日章旗は日の丸を掲げて戦った戦争を想起させ、君が代は、天皇の世の永続を願う歌詞が昔のままであることから、戦後、国歌、国旗を変更しようとする動きもありました。ですから、今、これらに対して国民の尊重義務を設けることは憲法の保障する思想・良心の自由に違反します。 

天皇の地位は主権者国民の総意に基づいているので、主権者国民が天皇制を廃止する意思を憲法改正によって示せば、いつでも廃止することができます。ですから、天皇制をどう考えるかは個人の自由であるにもかかわらず、君が代を歌うことで強制的に天皇の時代が千代に八千代に続くことを願わされることは、国民主権原理に反します。

国歌斉唱をしないのは愛国心の欠如だという主張は、愛国心を間違った意味にとらえているからです。愛国心とは、現在の日本のあり方をそのまま肯定し、美しい日本だと自己陶酔に浸ることではなく、国家のあるべき姿に照らして過去と現状を見つめ直し、未来を展望するものです。

国歌を歌うから愛国心がある、歌わないから愛国心がないという、誤った考え方から卒業するときが来ています。
Q3統計によれば、「日本人には他国に比べ自国に対する誇りが少ない」そうです。これは自虐史観に基づいた戦後教育のせいではありませんか。
A3海外との交流が盛んになった今、日本の高い技術や清潔な環境、協調を大切にする温和な性格、そして何よりも治安の良さが再認識されてきています。日本人にとってはそれが当たり前になっているため、あまり日本という国を意識することがなかったのでしょう。常に周辺国の間に軍事・政治面からの争いを強いられる他国の国民意識とは次元が異なると思われます。

ただ、自国に対する誇りとは、自国のみ優れていると自己陶酔して、過去の歴史的事実の正確な認識を怠るところからは、生まれません。他国に対して公平な態度をとり、日本のあり方を客観的かつ冷静に考察する国民的反省力を養って、近隣諸国民との和解と協力を進めていくことが必要です。

特に北東アジアにおける歴史的主張は相互依存的な関係にあるので、論争が激化する場合と対話の過程が始まる場合があります。話し手と聞き手が特定の論点を共通の地域的な関心事として組み立てる共通の論議において、お互いを正当な参加者として認めるときに、地域的な公共圏が出現します。トランスナショナルな空間において、お互いを正当な参加者として認める対話と相互理解を進めていくことが大切です。

 

(4)国民の権利および義務について

Q1漫画(p.59)では,現行憲法では「男女平等が謳われ女性の地位は向上したが、個人の自由が強調されすぎて、家族の絆とか地域の連帯が希薄になった」とありますが、家族の絆とか地域の連帯が希薄になったのは本当に「個人の自由が強調されすぎ」たからですか。また仮に「個人の自由が強調されすぎ」たとしたら,それは現行憲法に原因があるのですか。
A1どちらも「いいえ」です。

まず「個人の自由が強調されすぎて、家族の絆とか地域の連帯が希薄になった」について考えてみましょう。個人が自由になればなるほど家族の絆とか地域の連帯が希薄になると言えるでしょうか。自由と無関心・孤立とは同じことではありませんから、自由であることと家族や地域との結びつきが強いこととは矛盾しません。因果関係はないのです。もし漫画で述べていることが真だとしたら、「家族の絆とか地域の連帯が希薄にならなかった、それは個人の自由が強調されすぎなかったからだ」ということにもなります。

つまり、「個人の自由が強調されすぎて、家族の絆とか地域の連帯が希薄になった」と考えている人は、「家族の絆とか地域の連帯が強くするために個人の自由を制限すればよいのではないか」と考えている可能性があるということです。「絆・連帯」と言いながら、一種の同調圧力や犠牲を求めているかのように感じられます。

2つめの「いいえ」に関しては,個人の自由も「「公共の福祉に反しない限り」認められているのであって無制限なわけではありません。憲法に瑕疵があるわけではないのです。現行憲法否定が先にあるかのような論理には注意が必要です。
Q2漫画(p.12)に、今の憲法では「プライバシーもストーカーも環境問題も」考えることができないと書いてありますが、本当ですか。
A2本当ではありません。

「プライバシーもストーカーも環境問題も」現行憲法のままで、個別の法律で対応することができます。確かに現行憲法ができた時には、「プライバシーもストーカーも環境問題も」そのような概念が希薄で社会問題化していなかったかもしれません。しかし、「そのような時代に作られたから今の時代の個別の問題に対応できない」ということにはなりません。これらの問題は憲法が定める基本的人権に含まれると考えられます。そして、憲法は何から何まで逐一細かく規定するというより、拠って立つべきもの、守るべき基本的な理念や権利などを記すものです。

したがって。憲法に違反しない個別の法令でもってまったく問題なく対処が可能です。プライバシーやストーカーや環境問題のために改憲する必要はありません。これらの例に限らず、「古い時代の憲法だから時代遅れである」とか「今の時代の社会問題をカバーできない」というような言説に惑わされず、その社会問題が現行憲法でどのように位置付けることができるのか検討してみれば、改憲の必要などないことがわかるでしょう。
Q3現行憲法について,漫画のp.28では「公共に反してなきゃ個人の幸福を追求するためなら何でもやっていいってこと?」、p.31では 「日本じゃ国の安全に反してもワガママOKってこと!?」と書いていますが、本当ですか。
A3嘘です。2つの意見を見てみましょう。

「国の安全を脅かすこと」が「公共に反するであろうこと」は容易に想像できます。したがって、「国の安全に反してもワガママOK」という解釈はメチャクチャな論理であることがわかります。実は同じ漫画のp.26からp.27 にかけ、,憲法第3章「国民の権利及び義務」の説明が書いてあり,第12条が引用されています。そこには「濫用してはならない」や「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」という規定がありますから、この漫画の言うように「今の日本の憲法は個人主義的といえる」とは思えません。現行憲法のどこが「個人主義的」なのでしょうか。

ところで、「今の憲法は基本的人権が保障されているため個人主義的である。だから改憲したほうがいい」と考えている政党や人たちがいるとしたら、そのような人たちが望ましいと思っている憲法はどのような理念に拠って立つものになるでしょうか。答えは簡単です。反対のことを考えればよいのです。「基本的人権の保障を制限し、全体主義的・国家主義的な側面を強めた憲法」です。このように、何を根拠にして批判しているかを手掛かりにすれば、何を目指しているかが見えてきます。
Q4漫画(p.29) に「どんなに危険な結社や宗教団体でも簡単に解散させられないんだ」とありますが、そういう危険な結社や団体を規制するために憲法を変える必要があるのですか。
A4いいえ、憲法を変えなくても規制できます。

この漫画が言う、人権で擁護されているため危険であっても解散させることができない、ということは事実ではありません。実際漫画の中でも言っているように「犯罪行為は刑法で」取り締まることができますし、法律で認められた手続きを踏めば結社や宗教団体を解散させることは可能です。

この漫画もp.29で「簡単には解散させられない」と言っているように、それを認めています。つまり、この漫画は、解散はさせられるけど「簡単ではない」から「簡単にできるように」現行憲法の改正が必要だと主張しているわけです。簡単にできるようにするためには、捜査・裁定・解散執行という手続きを一元化して行う方が効果的です。つまり、国家権力をある程度集中させることが必要になってきます。

改憲を主張する側が何をできるようにしたがっているのかを考え、そのために何を変える必要があるのかを考えると、改憲によって失うものが見えてきます。もし憲法を権力の集中が可能なものに変え、「危険な結社や宗教団体でも簡単に解散させられる」ようにしたら、国家にブレーキをかける方法が1つ確実になくなります。それは非常に怖いことだと思います。
Q5現行憲法は個人主義的と言えるのではないでしょうか。
A5日本国憲法の13条は、「すべて国民は、個人として尊重される」と定めています。「個人主義」という考え方=「個人の尊重」を、「全体主義」と「利己主義」と比べてみましょう。

「全体主義」は、全体(とくに国家)の利益が一番大切だという考え方です。個人は全体のために存在し、その価値のための道具にすぎないのです。「個人主義」はこれとはまったく反対に、全体は個人のために存在し、国家などの集団は個人のための道具にすぎないという立場です。
改憲をめぐる言説を読み解くプロジェクト 執筆者一覧(五十音順)

石川裕一郎(聖学院大学、憲法学)■稲正樹(国際基督教大学元教員、憲法学)■神田靖子(大阪学院大学元教員、言語学)■志田陽子(武蔵野美術大学、憲法学)■名嶋義直(琉球大学、言語学)■野呂香代子(ベルリン自由大学、言語学)

注:このQ&A集は「「安保法制」に反対する北海道宗教者連絡会」様が作成されたパンフレットWeb版を元に再構成したものです。このQ&A集に関する著作権、著作隣接権は、「「安保法制」に反対する北海道宗教者連絡会」様に帰属します。